【第20回】チーズケーキ
ここはとても寒い土地です。
氷で出来た大地にどこまでも白い空、海は黒々といつも怒っています。
ここで暮らす生き物たちは大抵、雪に似せて真っ白か、海に似せて真っ黒かのどちらかでしたが、白くもなく、黒くもない1匹のクマがいました。
クマは鼻歌を歌って、家に帰っているようです。
雪のレンガを積み重ねて作られたドーム型のおうちに、良い香りが漂います。
「うーん、今日も美味しくできたみたいだ」と、クマはうっとりとした顔で舌なめずりしました。
クマが手に持った荷物を片付けていると、玄関が開く音が聞こえてきました。お客さんでしょうか。
「よう!」
そこには、クマの体の半分も満たない小さな1匹のペンギンが立っていました。クマのお友達のようですね。
「やあ、調子はどうだい」
「どうもこうも、最近はよくないね。パンデミックが起きて株価も暴落しまくりよ」
「パンデ……?ペンギンの話すことはいつも難しいなあ」
ペンギンは自分のバッグからノートパソコンを取り出して、数値と線が秒ごとに変動する様子をじっと見ています。クマはパソコンの画面を後ろから覗き込みます。うねうねとする線がクマには卵を溶いたときにできる線に見えておなかが空いてきました。
オーブンが鳴りました。クマは手にミトンを付けてオーブンを開けます。部屋に出来立てのケーキの良い香りが広がりました。
ペンギンは呆れ顔で言いました。
「へい、君はまたチーズケーキを作ったのか」
「だって、これが一番美味しいんだよ」
クマはチーズケーキの表面がつやつやしているのを見て、幸せの気持ちに満たされていました。
「でもよー、それじゃあ君はいつまで経ってもシログマじゃなくて”キグマ”だぜ」
ペンギンはクマの頭のてっぺんから足の指まで見て、ため息をつきました。
そうなのです、このクマは全身が真っ黄色なのでした。
数年前のことです。
シロクマの兄弟たちがお母さんに獲物を捕らえる方法を学んでいる間に、このクマは家でサボってだらだらとしていました。すると美味しい匂いがしてきました。匂いの方角へ歩いていくと、人間たちに遭遇しました。人間は子熊と出会い、驚き慌てふためく者やインスタグラムに写真を投稿する者がいました。クマはサボり屋でしたが、挨拶のできるクマでしたので、すぐに人間と打ち解けました。
「突然お伺いしてすいません。脅かすつもりはないのです。この美味しい匂いについて知りたくて参りました。」
「これはチーズケーキの香りだよ。食べてみるかい」
「食べる!」
クマは人間に言われるがまま、ケーキを口に運びました。その瞬間、サカナに翼が生えて大空へ飛び立っていったかのような革命がクマに訪れました。とてもおいしいと言って、パクパクと一人ですべて食べてしまいました。
クマがあまりに感動して食べるので、人間たちはクマにチーズケーキの作り方を教えてあげました。また、家に帰る前にはオーブンを譲ってあげました。人間はnoteの有料記事でこの出来事を書き、莫大の富を築いたとか、なんとか。
クマはそれから毎日のようにチーズケーキを焼いては食べていました。兄弟には変な奴だとバカにされ、お母さんには病院に連れて行かれそうになりました。それでもめげずにチーズケーキを焼いては食べていました。
口にするのはチーズケーキだけ、それ以外のものは何も食べない暮らしを1年続けていると徐々に体に変化が現れました。足の指先から少しずつ、体が黄色になっていったのです。
腰まで黄色くなったときには「ズボンを履いているんだ。南極の流行を取り入れたファッションだよ」と、言って体の変化を誤魔化していましたが「ここは北極だし、南極の流行なんて誰も知らないよ」と一蹴されました。
頭の最後の一本の毛まで黄色くなったとき、家族はこのクマを家から追い出しました。もう一人立ちの時期だったからで す。
クマはオーブンを抱えて、放浪し、今の家を作りました。このクマは群れることもなく家でひたすらにチーズケーキを作って暮らしていたのでした。
「”キグマ”でもかっこいいと思うんだけどなあ」
クマは頭をポリポリと掻きました。チーズケーキを切り分けてお皿に盛りつけます。
「そんな食生活だと早死にするぜ。ヴィーガンになった奴らはみんな不健康に陥ってる。同じことさ」
「ヴィ……?」
このペンギンはとても物知りでした。
そもそもこの土地にはペンギンは暮らしていません。ではなぜ、このペンギンがここにいるのでしょうか。
答えは簡単です。このペンギンは空が飛べるのです。それに鰓呼吸もできるのです。生まれたときから地上で唯一無二の存在になるべく日々鍛錬に鍛錬を重ねて、他のペンギンの雛たちがようやくふかふかの羽毛から卒業して大人の体になった頃、このペンギンは空陸を制覇し、完璧な存在となっていました。それだけでは飽き足らず、人間社会に飛び込んで事務、営業、コンサルタント、アナリストを経験し、最後に開発業務に携わりました。Linuxのキャラクターがペンギンであるのは、このペンギンをモデルにしているためなのです。というのは、さすがにペンギンのデマですけどね。
兎にも角にもバリバリと輝かしいキャリアを積み上げるペンギンは、最後の目標に取り掛かりました。世界で唯一、北極に暮らすペンギンになろうと決めたのです。アメリカの不動産投資の運用がうまく回り始めたので、北極へ転居をしようと決めたのですが、そこで最大の問題がペンギンに襲い掛かりました。天敵、シロクマの存在です。北極に裸一貫で降り立ったが最後、一瞬で捕食されてしまうのは明白でした。この問題には長く頭を悩ませました。船で乗り込んで、そこで暮らすことも考えましたが、それでは北極で暮らしているとは言えません。しかし、一秒でも北極の地に居座ることは自分の命をゴミ箱に捨てることと変わらない。大変悩んでいる間にもお金は貯まっていきます。これだけの資産があっても、北極で暮らすことさえままならない。ペンギンは無力感を打ち消すべく、空手や中国武術、キックボクシングを習いました。アジアのさまざまな国を転々とし、アフリカの紛争地域にも忍び入って敢えてリスクを冒して、肉体を逞しくしました。確かに強くはなりました。拳銃や短剣の扱いは一流の兵士顔負けです。それでもペンギンは不安で北極には行けませんでした。
そんな中、ペンギンに一通のニュー� ��がやってきました。友人のキョクアジサシがペンギンにこんな話をしました。
「面白い話を聞いたよ。北極に肉を食わないクマがいるらしい。どうやら全身真っ黄色なんだって。そんなのが実在するのかね」
「ははは、面白いジョークだね」
ペンギンはコーヒーを啜りながら、笑い飛ばしましたが、その晩はなかなか眠れませんでした。ずっと黄色いクマの噂が頭から離れないのです。
「もし……もし本当にそんなクマがいるのだとしたら……」
「私は北極に行けるかもしれない」
ペンギンは翌朝、居ても経ってもいられず荷物を抱えて船に飛び乗りました。事実を確認するためでした。
その日、ペンギンとクマは出会いました。
ペンギンは噂で聞いた通りの家を見つけ出すと、深く息を吐きました。もし、このクマが本当は肉を食べているのだとしたら……そう思うと緊張で心臓が飛び出してしまいそうでしたが、ペンギンは決死の覚悟でドアをノックしました。
「やあ、誰だい」
クマは噂通り、頭から足まで真っ黄色でした。
「よう!俺はペンギン。お前は肉を食べないらしいな」
「ペンギンだって!?初めて見たなあ。遠くから遥々よく来たね」
クマは腰をかがめてペンギンの匂いを嗅ぎました。ペンギンは恐怖で体が震えます。
「おや、体が震えているじゃないか。寒いのかい。ほら、今チーズケーキが焼けたところだから一緒に食べよう」
ペンギンは円形のダイニングテーブルに案内されて、背の高い椅子に座り、チーズケーキを食べました。これがとてもおいしいのです。ニューヨークの有名店で食べたチーズケーキよりも美味しく感じました。
「こりゃまあ、ずいぶん美味しいチーズケーキだ。君はどこでケーキを習った」
「人間に教えてもらったんだよ」
クマは嬉しそうでした。作ったチーズケーキを誰かに食べてもらうのはこれが初めてだったのです。
「それで、君。肉を食べないってのは本当か」
ペンギンは真剣な顔でクマに尋ねました。
「うん、もうずっとチーズケーキしか食べてないよ。チーズケーキは最高だからね!」
この言葉を聞いたペンギンはついに北極に移住する決心をしたのです。
ペンギンはクマの家のすぐ隣に小さな家を建てました。
危険が身に迫るとクマの家に逃げ込み、海外に仕事があるときは空を飛んだり、海を泳いで会社に戻ったりしてペンギンは暮らしています。
ペンギンは北極の暮らしに満足していました。ひとつだけ心配なことがあります。
「人間の場合は栄養が偏るとビタミン剤を飲むぜ。君も飲んでみたらどう」
「うーん、美味しくないのは嫌だよ」
「早く死ぬよりはましだと思うんだけどよー」
クマの食生活と健康状態に文句を言うペンギンを黙らせるように、クマはチーズケーキをペンギンの前へ置きました。
「さ、難しい話はやめて、チーズケーキを一緒に食べよう」
クマはそう言うと、黄色い両手を合わせました。ペンギンは無神論者なので食事の前のお祈りはしたくないのですが、クマがほら早くと言わんばかりに目を輝かしているのを見ると無視できません。ペンギンも手を合わせます。
「はい、それではいただきます」
「いただきます」
チーズケーキは今日もとても美味しく仕上がりました。二人は笑顔でぺろりと完食しました。
【第19回】別れの朝
頭の辺りで何かが動いたので、私は眠い目を擦って目を開けた。枕の脇にあるコンセントから伸びた充電ケーブルを、彼が引っこ抜いたようだった。彼は私が起きたことに気づいていない。慣れたようにうちのシャワーやドライヤーを使ってせかせかと身支度を整えていた。準備が終わったのか、時計を見て「うーん、微妙だなあ」と一人ごちる。その横顔を私は虚ろに眺めている。
寝起きの働いていない頭で、私は昨晩のことを思い出した。彼は朝から予定があると言っていた。いつもだったら昼過ぎまでうちで寝て過ごすけど、明日はちゃんと起きて家に帰るつもりだと。早いから寝ててもいいよと。へー、そうなんだ。分かった。と私はテレビを観ながら返事をした。興味が全くないかのように。
本当はどんな予定なのか聞きたかった。彼は友だちも趣味もなく、休日遊びに行くなんてこれまでほとんどなかった。あったとしても必ず早いうちに教えてくれた。まあ、もう関係ないものねと分かってはいるけれど、もやもやと心が晴れない。その後のテレビ番組の内容は全く頭に残っていない。彼は大きな声で笑っていたから、面白かったのだろう。彼の手は私の肩に置かれていた。ぐっと抱き寄せていた。私はのぼせそうだった。
時間潰しに彼がスマートフォンで何かをやっている。私は「おはよう」と声をかけた。彼は「おはよう」とこちらを見ずに挨拶をした。部屋が暗かったのか、彼はベッドサイドの窓のカーテンを開けようとする。ベッドの、私の体の、すぐ横に膝をついてカーテンを開けた。こんなにも私に近づいたのに、やっぱり私には目を向けず、触れもせず、明るくなった部屋のローテーブルの前に座り込み、スマートフォンの画面に顔を落とす。私は彼に何かを伝えたかったのに、私を拒む彼の石のような姿を見て二言目が出てこなかった。キャッチボールをしたかったのに、投げたボールを屋根の上に乗っけられて取りに行けず、強制的に遊びを終了させられてしまったかのようで、私は黙るしかなかった。
私はまだ眠くてベッドから出ることが出来ない。どうか最後に彼が私を抱き締めてくれたらいいのにと夢を見ていた。
彼は私との交際を「黙っていても居心地が良い」と言った。会話の少ないカップルだったと思う。今はとても居心地が悪い。悪くなってしまった。変わってしまったら、もう戻れないのだ。そう、分かってはいても。
「やっべ!」
彼は慌てて立ち上がり、コートを羽織る。
「ゲームしてたらバスに乗り遅れそうになった。まずい。走らないと間に合わない」
「え、大丈夫?気を付けてね」
「うん!じゃっ」
彼は私の顔を見て、言った。いつもと同じ顔でいつもと同じ声だった。思わず、この人はまた来週も来ると予感してしまったほどに。今日までの、私と彼との間のいざこざやすれ違いが消え去って、また付き合い始めた頃の真っ新な気持ちで日常が始まると感じた。一緒に観ようと言って観れてない映画もまだあるから、きっと来週の夜には観られると思った。私はベッドの中から彼に手を振った。
玄関をバタンとしめる音が聞こえた。走る足音が遠ざかっていく。彼の足音が聞こえなくなると、私は布団から出て、玄関の鍵を締めた。ローテーブルの上には彼に渡していた合鍵が置かれていて、先ほどの妄想は全くの勘違いだったと知る。久し振りに戻ってきた鍵に指を滑らせる。
私は暗い部屋が好きで、日が出ている時間帯は電気をつけずにいる。しかし目の悪い彼にはこの部屋は暗すぎるから、うちの遊びにくるとすぐに彼は電気をつける。特にそのことで文句を言ったこともない。私が暗い部屋が好きだと明言した記憶もない。
「今日、彼は電気をつけなかった。はじめてカーテンを開けた」
私は鍵を見てそんなことを思った。二度と戻らない時間を思い返しながら、鍵についた薄い傷を数えている。
【第18回】 ひとり暮らし
住んでいる部屋の賃貸契約を結んでから1年が経とうとしている。あっという間だった。料理も掃除も大してやったことのない私だったが、今ではすっかりひとり暮らしを楽しんでいる。
初めから楽しくひとりで暮らせていたわけではない。
引っ越して初めての夜のこと。まだベッドが届いておらず、床に布団を敷いて眠ろうとした。テレビがなく、WiFiもまだなかった。家でやれることと言えば、編み物、妄想、読書くらい。それで十分だと思った。本を読んで過ごした。だんだんとあくびが出てきた。ねむい。私は照明を落として目をつぶった。
……が、眠れなかった。頭の中でぐるぐると考えが巡る。もし窓を割られて家に強盗が入ってきたら?私はここでひとりぼっちなんだ!誰もたすけてくれない!私は枕元のぬいぐるみを抱き寄せて、涙を落とす。常夜灯の橙色の明かりが妙に孤独感を刺激した。家の前に車が走る音や、隣の家の生活音が耳障りに響いてきて、寂しさに押しつぶされそうになる。新築のやたら真っ白な壁紙も、まだ慣れない使い始めの布団も私には見知らぬ他人のように冷たい。私の私物がごろごろしていても、生活をまだ知らない無表情な部屋。怖くて怖くてその晩私は子どものように泣きじゃくってしまったのだった。
泣き疲れた私は、知らぬ間にねむっていたらしい。チュンチュンと鳥のさえずりが聞こえる。布団から出て洗面台の鏡で自分の顔を見ると、目がぱんぱんに腫れていた。「不細工だなあ」と指さして笑った。
それからは何かに吹っ切れたように、すんなりとねむれるようになった。あの晩だけ、とても部屋が怖く思えた。部屋に脅かされたのかもしれない。なんてね。
部屋は今では良い相棒だ。特に朝のこの部屋は好きだ。朝日を浴びて壁や机、布団が優しい色になる。もう泣かない。今日も私はこの部屋でひとりねむる。そして朝を迎える。
【第17回】 泥と人
仕事を辞める。
新卒で入って、一年……いや、11ヶ月働いた会社を辞める。
なかなか就活がうまくいかなかった私に、最後の最後で決まった、世間体のいいところだった。
拾ってもらったこの会社で粉骨砕身しようと、家を出た。初めてのひとり暮らしだった。
数カ月経つと、職場環境の異様さが目につくようになった。
横行する裏金作り。ある一人には社長でさえ、誰も逆らえない組織体系。繰り返される不正、その度の責任転嫁。日に5時間、6時間のサービス残業、手当のない休日出勤。新人へのセクハラ、パワハラ、モラハラ。
耐えろ耐えろと自分を叱咤したが、新人にすら自分のミスを押し付けようとする上司に、あるとき心は簡単に折れた。
仕事を辞める。
やっと乗れた社会の、“正しい”レールだと思っていた道を外れる。
高校生の折にうつ病を患い、大学に入って療養を続けた末の寛解と就職だった。
運がないとは思うが、今はただ、とても眠い。
職場でポキリと心が折れたあと、私の体にはわかりやすく、再びうつ病の症状が現れ始めた。
日中の眠気、集中力と理解力の低下、ぼんやりとした希死念慮。
ただひたすらに毎日が眠たくて、自分の感情が薄皮一枚隔てた向こう側にあるような感覚があった。
何度も、これは甘えだろうかと自問した。そして先日、甘えだろうと関係ない、私は私を死なせるわけにはいかないと、私は情けなくも小さな決意を孕んだ答えを出した。
眠たいなあと思う。
ただただ、眠たいと思う。
仕事を辞めたら、何も考えずにゆっくり眠る日を得よう。
次のこと、先のことを考えずにその時の欲に従って眠ろう。
温かい部屋で、鳥の鳴き声と、犬の寝息を聞いて眠ろう。
ぼんやり目を覚しても、まだ午前中かと安心して夜まで眠ってしまおう。体全部が溶けて布団と一緒になってしまうまでそうしていよう。
すべてがどうでもいい、私以外は。
そうやって泥のように眠ろう。人の形を取り戻すのは、そのあとでいい。
柚香
【第16回】2020年1月11日
卵をふたつ、ウインナーを5つ焼く。お味噌汁はいつもインスタント。お湯を電気ケトルで沸かして、注いでかき混ぜるだけ。一口コンロのキッチンでは、お味噌汁を作るのが難しい。ごはんは昨晩、恋人が炊いてくれた。目玉焼きとウインナーをお皿に移し、お茶碗にごはんを盛って、お箸を出した。狭い部屋に合わせた小さいローテーブルは食器でぎゅうぎゅうになる。おなかを空かせていた私たちは、ごはんを目の前にして焦るように手を合わせる。「いただきます!」と言って朝ごはんを食べた。目玉焼きにはソースをかける。私がソース派だから。
朝ごはんを食べ終えると、恋人の家に移動した。家が近いから、行ったり来たりが楽だ。恋人の家にはシーシャがある。恋人にセッティングをしてもらい、炭を焼いて準備を手伝う。フレーバーを10分ほど蒸らして吸い始めると、水が入ったガラス瓶の中に煙がもわもわと立ち現れて白く曇る。何度か吸っているとだんだんと味がはっきりと出てくる。美味しい。ミルクの優しい香り。
シーシャを吸っている間は、読書をしていた。去年、自分へのクリスマスプレゼントとして買った本。『掃除婦のための手引き書』著ルシア・ベルリン、訳岸本佐知子。これは著者の作品集で、彼女の体験に基づいた短編小説が集められている。ユーモア溢れる作品が多く、読みながらクスクス笑ってしまった。人生の中の物語を掴み、飾り気なく生きた言葉で語る。すべてがノンフィクションではないと思うが、人の日記を盗み見ているような楽しさが味わえる。
2時間くらいしてシーシャの味が無くなってくると、お片付けをした。
お散歩がしたくて恋人とふたりで外へ出た。近くの川のそばをひたすらまっすぐ歩く。ちょっと雲が多かったけれど、時々青空が覗いた。少し寒かった。手をつないだ。歩いている間は、ぽつぽつ喋った。川の流れや風景を眺めた。私は家でも会社でもパソコンを見ているので、広い視界が久しぶりだった。何も考えず、ぼんやりと過ごした。恋人の話は前にも聞いたことがある話だった。でも、初めて聞いた振りをした。こういうのは嘘に含まれるのかな。極論を言ってしまえば、恋人の話の内容はどうでもよくて、会話の間ずっと恋人の声を聴いている。私が話を聞いていないことを恋人は知っている。それで良いらしい。
1時間弱お散歩をして、帰宅。疲れたので恋人の部屋で寝る。毛布がぬくぬくする。ねことだいたい同じ。私が先に起きた。おなかが空いてしまったので、まだねむる恋人をやや強引に起こした。
ご飯を食べて、恋人とボードゲームをして遊んだ。勝ったり負けたりする。付き合う前も、こうしてボードゲームで遊んだなあと思う。ボードゲームに飽きて、私が絵を描きたいと言い出す。いらない紙の裏にボールペンで落書きをする。恋人にも描かせる。恋人は「絵は描けないよ」と言いながらも、一生懸命ねこの絵を描いた。何匹も描いた。下手だ、難しい、線がうまく書けないと言いながらもペンを投げ出さずに絵を描き続けるので、絵を描くのは実は好きなんじゃないかと思う。恋人の描く歪なねこの絵が好きなので、こうして時々描かせている。私自身は、小・中学生のころは絵を描くのに熱中していたから絵を描くことは好きなのだけど、明らかに下手くそになっていた。しょんぼり。当時は文章書くよりも絵を描く方が得意だった。それこそイラストレーターになりたいと言っていた。(同時に小説家にもなりたがっていた、こっそりと誰にも言わず)高校生になって私より絵が上手な人に出会ってその夢は砕かれた。
遊ぶのに満足して、私は家に帰る。気づいたらすっかり夜になっていた。完璧な休日だった。家に帰ってからも、楽しい時間を過せた充実感心がホクホクしていた。気持ちよくねむれた。リラックスできたよい1日でした。
【第15回】寝正月
気づいたらもう三が日が過ぎていた。初詣に行っておらず、おみくじで今年の運勢を占っていない。まあ、きっと良いことだらけになるだろう。去年のおみくじの内容を全く覚えていない。当たっていたのかな。
初詣に行かず、実家に帰らず、旅行もせず、おせちを作らず、親戚に会わず、お年玉をあげず、掃除をせず、テレビを見ず、おもちを食べず、私はひたすらベッドで横になっていた。小説を読んではねむり、起きては小説を読んでねむった。とはいえ、小説に夢中になっているとも言い難い。文章を読んで、書かれている物事を空想し、全身で物語に没入していく行為が小説を読むことの醍醐味だと思うが、私は一切物語の中へ入っていけなかった。文を目で追いかけて言葉を理解していても、頭の中に浮かぶのは、自分が次に書きたい小説の台詞や情景。あるいは、仕事の不安や悩み。または、恋人との逢瀬の想起。小説と関係ないそれらを頭から放り出して頑張って本を読み進めても、睡魔が私のまぶたを撫でてねむらせてしまった。
本を読んでいる間に、内容とは関係ない思考が始まる。集中できていないだけかもしれない。でも、あながちそうとも言えない。
本は常に我々に何かを伝えようとする。自己啓発本が一番わかりやすいだろうか。「今の君は間違っている。毎朝運動するとより良くなる」そう訴えかける本に我々は影響を受けて、毎朝運動をするようになる。本によって行動が変容させられる。小説だって同じことだ。物語を伝え、我々の内的活動(感情を喚起する、哲学的思考を促す)を活性化させるだけが小説の力ではない。文が在り、読む私がいる。読む私は小説中に「カエル」と言う言葉を見る。私は無意識レベルで「カエル」を自分の中から探り出して、無限に連なる過去の記憶から「カエル」にまつわる情報を表出させる。そして私の脳内では「雨の日に落とした桃色のハンカチ」が浮かんでいるのだ。全く自分の関与しないところで意識が働き、ひとりでいたら生まれなかったものを生まれさせる。私は文章から想像を働きかけられている。否応なしに想像をさせられてしまう。物語を理解することも重要あるが、このような自分を超えた想像を生むことも重要な効用のひとつである。この効用は小説に限らず、絵画や音楽からも得られるだろう。
初夢は面白くなかった。仕事の夢だった。
上司に客先で作業を頼まれると、私は余裕があると判断して朝10時開始なのに11時半まで喫茶店でぼーっとコーヒーを飲んでから来訪すると、客から想定していた作業よりも多くのタスクを頼まれる。今日中に終わらせてくれという無言の圧力を感じ、私は冷や汗をかく。1人では終わらない量だった。しかも私は朝の時間サボっていたので客のせいだけには出来ない。報告したら怒られるかもしれないという不安で、連絡が遅くなる。へらへらしながら上司に電話をする。「これこれと言われて、1人じゃ終わらないと思うんですけど誰か来ていただけますか?
これでおしまい。ああ、嫌な夢だ。本当にありえそうだ。というか、昨年に似たような状況があったのだ。ああ。
今年もたくさんねむりたい。同じくらい本を読みたい。想像力の翼を豊かにしたい。私の知らない私(しかし、それは私ではないだろう)に手を伸ばしたい。おやすみなさい。
清水優輝
【番外編】2019年まとめ
大晦日ですね。我が家にはテレビがないので、例年に比べて大晦日の雰囲気が薄いのですが、それでも年の瀬の慌ただしさと寂しさ、温もりを感じています。
今回は番外編と称して、2019年のねむよしを振り返りたいと思います。はじめましての方はここで紹介する記事から読むといいかもしれません。
2019年夏、ねむよしを始めました。
一番、評判があったのはのぅさんのこの記事。本当に素敵なお話ですので、未読の方はぜひ読んでみてくださいね。
個人的に思い出のある記事です。ねむよしはエッセイだけではなく掌編小説も載せています。
うーん、紹介し始めるとキリがないですね!どの記事も愛を持って書いています。ねむたい夜のお供に、これからも読んでいただけたら幸いです。忙しい毎日に負けないよう、更新を続けていきたいと思います。
また、一緒にねむよしを作ってくれる人を募集しています。興味がある方は気軽に私、清水優輝に声をかけてください。
☆ ☆ ☆
ここからは個人的なお話。
私はどちらかと言えば暴力的で優しさから遠い人間です。ねむよしは「みんなねむくなる。けんかせずなかよしになれ」と私の人間性からは真逆のテーマを掲げています。挑戦でした。結果、うまくやれているのか正直なところは分かりません。それでも少しは優しい心を持てるようになれたかなと思います。
なかよしになれ、と命令形で書いていますが、決して強制しているわけではないのです。時には人と仲良くできないこともあると思います。それでも悪意や嫌悪を抱くことなく、「この人も私と同じでねむくて二度寝をしちゃうのだろうなあ」と思ってほしい。
ねむよしは私なりの世界平和活動なのです。
それでは、みなさまよいお年を。お布団でゆっくりねむってね。
清水優輝